日記



学生生活の終わり。


昨年末の日記に書いていたように、2月は修論の提出があり、色々忙しかった。何度か徹夜もしてしんどい時間もあったけれど、その分終わったときには大きな開放感があった。少し遅れて、いよいよ大学生生活(結局6年に渡った)も終わるんだなという何ともいえない感慨があって、そこには充実感と同時に寂しさもあった。



思い返すと前半3年間はヌルゲーで後半3年間はハードモードという、一緒くたに6年でくくるにはあまりにも対称的な時間で、特に後者は毎日終電帰りみたいな感じで大変なことも多かった。だから、それが終わった時、やっと終わったという気持ちがまずあって、と同時にそうした時間がいまの自分の支えになっている感覚もあり、そうした諸々が充実感につながっていた。



中村繪里子さんが2013年に更新したブログに僕が大好きな言葉がある。


30代の大事な一歩めを走りはじめた 2012。
子供の時、『大人になった自分の設計図』を考えてみるという授業で30歳より先の未来図が感じられずに先生を困らせた私にとって、
この30からの一歩はとても不思議なものでした。
まっくらだし、てさぐりだらけで、、、
でも、それがちっとも不愉快じゃない。
あの当時、想像・予想できなかったことしか起こらないから、毎日がとても新鮮なんです。
それに、今まで歩いて、時には走ってきた道が、確かに、自分の後ろ足を支えてくれている感覚。もしかしたら、これを、自信と呼ぶのかもしれません。


学部4年に上がる前の最後の春休み、これから先の環境の変化とか、待ち受けているだろう色々な苦難とかを想像して憂鬱な気持ちになっていた僕はこの言葉にだいぶ勇気をもらったというか、これを見てちゃんと前に進まないとダメだなと思ったのだった。当時はこの言葉も、そういうものなのか、としか思えなかったけれど、いまならこの感覚も少しわかり、そういう意味では僕も成長できたのかもしれない。



寂しさは学生生活の楽しい時間が終わったこともそうだけど、それ以上に福岡を離れるところから来ている気がする。本当に典型的な福岡県民というか、やっぱり生まれも育ちも福岡でずっとここで生活してきたわけだからすごく愛着があるんだと、最近痛感している。盆正月くらいは帰ってこれるとはいえ、色々食べられなくなるものとか、行けなくなる場所とか、観れなくなる景色とか、あとは家族とも離れるし、そういうものを考えてしまうと寂しくなるのだった。








修論の発表会(修士課程では修論を大学に提出するのは当然として、それと合わせてだいたいどこの大学も学科で発表会をやる)の最終日には同期とそのまま天神で打ち上げをやった。昔教室でみんなで講義を受けていた頃は毎日のように会っていたけれど、研究室に配属されてからはほとんど会うこともなくなり、久々に会話した人も多かった。昔話やら研究室の愚痴など話のネタには困らず、何よりも色々な重圧から開放されたあとの飲み会ということでとても楽しかった。



二次会はカラオケを2時間ほど楽しんだ後、数名で抜けてボードゲームができるバーに行った。聞いたところでは、最近はこういう形態のバーもたくさんあるらしい。入ったお店は入り口のすぐ左にバーカウンターがあって、奥にボードゲームをやるスペースがあった。夜も更けた静かな雰囲気の中でお酒を飲みながら時間も気にせずにボードゲームをするのは大学生らしいのか、らしくないのかわからないけれど、(男女とも)みんな落ち着きのある人達だったし、何か時間がゆっくりと流れていくのが感じられてとても心地よかった。







トップの写真は福岡市中央区天神大名

日記 日記 Reviewed by mug on 2/19/2017 Rating: 5

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